
●第4回アニソングランプリ〜「アニマックス」〜宮城仙台はアニメや漫画に注目しています。
戦国BASARAが影響しているのでしょう!
宮城仙台は、宮城仙台アニメーショングランプリを開催しています。
私は、アニソングランプリが福岡や札幌で開催されているのに仙台で開催されていないことに不満がありました。
しかし、第4回アニソングランプリ予選「アニマックス」が、仙台で7月3日に開催されるのです。
福岡や札幌には負けられんですね。
歴代優勝者は、喜多修平、カトリーヌセントオンジュ、佐咲紗花(佐々木紗花)です。
●戦国BASARA 戦国BASARA(せんごくバサラ)は、2009年4月から、テレビアニメ化されTBS系列局で放送された。
ロゴタイプは、伊達家の家紋「竹に雀」を背景に「戦国」と「BASARA」を二段に分けて書かれたものである。「BASARA(婆娑羅)」の意は?
ばさらとは、日本の中世、南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。婆娑羅など幾つかの漢字表記があり、梵語(サンスクリット語)で「vajra = 金剛石(ダイアモンド)」を意味するが、意味の転訛は不明であるとされる。
身分秩序を無視して公家や天皇といった時の権威を軽んじて反撥し、粋で華美な服装や奢侈な振る舞いを好む美意識であり、後の戦国時代における下剋上の風潮の萌芽となった。足利尊氏は幕府の基本方針である『建武式目』においてばさらを禁止した。ばさらに対して批判的な古典『太平記』には、源家足利氏筆頭執事の高師直や近江国(滋賀県)の佐々木道誉(高氏)や美濃国(岐阜県)の土岐頼遠などのばさら的な行動が記されている。これらの大名は「ばさら大名」と呼ばれる。
・かぶき者 かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596〜1643)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。
茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。
当時男性の着物は浅黄や紺など非常に地味な色合いが普通だった。しかしかぶき者は色鮮やかな女物の着物をマントのように羽織ったり、袴に動物皮をつぎはうなど常識を無視して非常に派手な服装を好んだ。他にも天鵞絨(ビロード)の襟や立髪や大髭、大額、鬢きり、茶筅髪、大きな刀や脇差、朱鞘、大鍔、大煙管などの異形・異様な風体が「かぶきたるさま」として流行した。彼らの行動及び趣味志向は一種の前衛芸術とも言える。
多くは徒党を組んで行動し、飲食代を踏み倒したり因縁をふっかけて金品を奪うなどの乱暴・狼藉をしばしば働いた。自分の武勇を公言することも多く、それが元で喧嘩や刃傷沙汰になることもあった。辻斬り、辻相撲、辻踊りなど往来での無法・逸脱行為も好んで行い、衆道や喫煙の風俗とも密接に関わっていた。
かぶき者のこうした身なりや行動は、世間の常識や権力・秩序への反発・反骨の精神の表れと見てよいだろう。彼らはまた、仲間同士の結束と信義を重んじ、命を惜しまない気概と生き方の美学を持っていた。1612年(慶長17年)に捕縛・斬首されたかぶき者の巨魁大鳥居いつ兵衛(大鳥一兵衛、同逸兵衛、逸平などとも書く)は、厳しい拷問を受けながらも仲間の名は最後まで吐かず、代わりに全国の大名の名を書き出してみせたという。彼はまた、刀のなかごに「廿五まで 生き過ぎたりや 一兵衛」と死を恐れぬ心意気を刻んでいた。
かぶき者になるのは、若党、中間、小者といった武家奉公人が多かった。彼らは武士身分ではなく、武家に雇われて、槍持ち、草履取りなどの雑用をこなす者たちで、その生活は貧しく不安定だった。彼らの多くは合戦の際には足軽や人足として働きつつ、機をみて略奪行為に励み、自由で暴力的な生活を謳歌していたが、戦乱の時代が終わるとともにその居場所を狭められていった。そうした時代の移り変わりがもたらす閉塞感が、彼らを反社会的で刹那的な生き方に駆り立てたという側面もあると思われる。
かぶき者たちは、一方で乱暴・狼藉を働く無法者として嫌われつつ、一方ではその男伊達な生き方が共感と賞賛を得てもいた。武家奉公人だけでなく、町人や、れっきとした武士である旗本や御家人がかぶき者になることもあった。寛永期頃から江戸に現れる旗本奴・町奴といった無頼集団もかぶき者の一類型と見られる。また、1603年(慶長8年)に出雲阿国(いづものおくに)がかぶき者の風俗を取り入れたかぶき踊りを創めると、たちまち全国的な流行となり、のちの歌舞伎の原型となった。
かぶき者の文化は慶長期にその最盛期をみるも、同時にその頃から幕府や諸藩の取り締まりが厳しくなっていき、やがて姿を消していく。その行動様式は侠客と呼ばれた無頼漢たちに、その美意識は歌舞伎という芸能に受け継がれていく・・・。
・伊達男 伊達政宗が豊臣秀吉に濡れ衣をかけられた時、部下に磔台を担がせ、自身は白装束という姿で上方に訪れた。このときの姿を見た町人たちが驚き、彼を伊達男と呼んだのが由来。純粋な意味としては「派手な振る舞いをする男」「派手ないでたちの男」というばさらを表す意味だが、「粋な男」や「美男子」と言う意味で使われることもある。これは伊達政宗が美男子だという噂から来ている?
伊達政宗や真田幸村、長宗我部元親といった戦国武将が若い女性の間でブームになり、グッズを購入したり、ゆかりの地を訪れる観光客が増えていると報道された。キャッチコピーは「戦場ごとぶった斬れ!」だ。